小浜・米谷・安倉エリア
小浜(こはま)・米谷(まいたに)・安倉(あくら)エリア
ガイドマップ7・8ページ
ガイドマップ番号 37~45
説明書きの番号はガイドマップの番号と対応しています。
小浜・米谷・安倉エリアの紹介
小浜地域は、中・近世に栄えた寺内町の面影を残し、風情ある町並みを楽しむことができます。安倉地域は、高速道路のインターチェンジがあり、宝塚の玄関です。
37.毫摂寺(ごうしょうじ)
浄土真宗本願寺派のお寺で「小浜御坊」(こはまごぼう)とも呼ばれ、豊臣秀吉も有馬へ行く途中に立ち寄ったといいます。秀吉の甥(おい)の秀次は、このお寺の娘の亀姫を側室にしましたが、秀次が謀反の疑いで切腹させられた時、亀姫も京都で処刑されたとの悲話が伝えられています。
38.旧和田家住宅(きゅうわだけじゅうたく)
市内に残る最古級の民家で、江戸時代の中頃までに築かれ、角屋座敷(つのやざしき)や納戸構(なんどがまえ)などの特徴を持っています。旧所有者の和田家は代々、米谷村飯野藩の庄屋をつとめ、多くの古文書が残されていました。その古文書の一部を展示しています。
39.首地蔵(くびじぞう)
馬街道沿いの高台に首から上だけのお地蔵様があります。洪水の時に武庫川の上流から流れてきたとか、伊丹の殿様がおまつりしたものだとかいわれますが詳しいことはわかりません。首から上の病気に御利益があるといい、近年、「頭が良くなる」とされ受験生のお参りも増えています。
40.小浜宿資料館(こはまじゅくしりょうかん)
小浜は15世紀末に毫摂寺(ごうしょうじ)の寺内町(じないちょう)として成立した所で、有馬街道、西宮街道、京伏見街道が交わる地点で、江戸時代には宿場町として繁栄し、酒造りや大工の町としても知られていました。資料館では昔の町並みの模型や大工道具などを展示しています。
41.安倉高塚古墳(あくらたかつかこふん)
古墳時代の前期(4世紀末頃)に造られた円墳ですが、戦前、道路拡張の際に半分が壊されました。その時に、川原石積みの竪穴式石室から赤烏(せきう)七年(244年)の中国・呉の年号が入った銅鏡などが見つかっています。
42.安倉住吉神社(あくらすみよしじんじゃ)
底筒男命(そこつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、上筒男命(うわつつおのみこと)を祭神とする神社で、天長2年(825年)の創建と伝えられますが詳しいことはわかっていません。10月の例祭にはだんじりが出て、威勢の良いかけ声とともに町内を巡幸します。
43.寛文八年道標(かんぶんはちねんどうひょう)
大阪・伊丹から小浜を通り有馬へ向かう道は有馬街道と呼ばれていました。この街道の伊丹と尼崎の分岐点に立っている通称「姥ヶ茶屋」(ばんがちゃや)の道標は、寛文八年(1668年)のもので、兵庫県下の最も古い道標の一つです。
44.小浜皇大神社(こはまこうたいじんじゃ)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祭神とする神社です。境内には小浜戎(こはまえびす)もまつられており、1月の戎祭には大変にぎわいます。市の保護樹木のムクは巨大なもので、秋祭りにくりだすだんじりも勇壮なものです。
45.伊孑志の渡し(いそしのわたし)
西宮と小浜をつなぐ西宮街道が武庫川を越えるところでは、江戸時代から橋がなく、「伊孑志の渡し」と呼ばれる渡し舟がありました。この伊孑志の渡しは大正の頃まで残っていたということです。
ちょこっとブレイク4
たからづかの民話「毫摂寺の亀姫」
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