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宝塚の民話・第2集の4

ID番号 1003690 更新日  平成26年11月10日  印刷

卜部左近の極楽物語(うらべさこんのごくらくものがたり)

江戸時代のはじめのことです。播磨(はりま)の国(注1)の三木に卜部左近(うらべさこん)(注2)という人がいました。左近は非常に頭の良い人で小さい頃から四書五経(ししょごきょう)(注3)に通じ、また大変信仰心の厚い人でした。彼のもとへ門人たちが集まり、その門下生に学問を教えるかたわら、近くの金剛寺の僧・澄伝(ちょうでん)について観音の教えをならいましたが、それが高じて間もなく妻子をつれて西国観音霊場(さいごく かんのん れいじょう)に詣でました。

宝塚の中山寺へ来たのは旧暦の七月九日のことです。左近は観音様の前で一心不乱に経文を唱え、お祈りしていた真夜中のことです。妙に心地良い音楽が流れてきたかと思うと、紫の雲がたなびき観音様があらわれ、金の鍵をもちだして極楽(ごくらく)(注4)の門を開きました。すると西国三十三箇所の観音様達がいつの間にか現れて、続々とこの極楽の東門の中に入っていきました。左近もこの後に続き入って行くと、そこには大変素晴らしい極楽浄土の世界が広がっていました。彼は家族にもこの世界を見せようと門の外へ出ました。ところが再び入ろうとすると既に極楽の門は閉じられて開きませんでした。

左近は三年ののち再び中山寺を訪れ、七月九日の夜、家族とともに再度熱心に祈願すると今度はこの厚い信仰が通じたのか、門が開いて家族ともども極楽浄土を見ることができました。感激した左近はこの中山寺の近くに「除業障山(じょぎょうしょうざん)」という庵(いおり)を作り、ここで念仏三昧(ざんまい)にふけりました。そしてあの極楽の光景を極彩色の「感得之曼荼羅(かんとくの まんだら)(注5)」という絵に表しました。その後左近はここですごし、二十余年ののち彼は大往生(だいおうじょう)を遂げました。彼の遺骸は除業障山の庵とともに荼毘(だび)にふされ、その跡地に「卜部左近霊屋(れいおく)」と記された五輪塔(ごりんとう)(注6)が残されました。

卜部左近の極楽物語の挿し絵

この左近がお参りした旧暦七月九日(現八月九日)は全国の観音様が星に乗って中山寺に集まる日で、「星下り祭り」と呼ばれ、この「ここのか日」にお参りすると四万六千日お参りしたのと同じ功徳があるといわれています。
また、この日に行われる梵天奉納(ぼんてんほうのう)(注7)の儀式は壮大なお祭りで、厄除けや健康祈願、五穀豊穣(ごこくほうじょう)のお祭りとして、現在も大変なにぎわいを見せています。

注釈
(注1)播磨の国(はりまのくに)
兵庫県の西南部の旧国名。明石、赤穂、印南、飾磨など十二郡がある。

(注2)卜部左近(うらべさこん)
?~1634 江戸時代初期の儒学者(じゅがくしゃ)。
後、真言宗を学び西国三十三箇所の巡礼を行い、中山寺で篤信して没する。

(注3)四書五経(ししょごきょう)
儒教(じゅきょう)の教典の「大学」「中庸」「論語」「孟子」の書と、「易経」「詩経」「書経」「春秋」「礼記」の総称で古典の教書として長く使われた。

(注4)極楽(ごくらく)
極楽浄土(ごくらくじょうど)の意味。阿弥陀仏の住む安楽の世界。

(注5)曼荼羅(まんだら)
真言宗で悟りの世界を表した絵図面。

(注6)五輪塔(ごりんとう)
密教で空・風・火・水・地の五大をあらわす塔の事。わが国では墓標や供養塔とする。石や木で作ったものが多い。

(注7)梵天奉納(ぼんてんほうのう)
梵天(ぼんてん)とは俗世界の欲を離れた静寂で清らかな天をあらわす。これを紙で作った御幣に託し、仏に納める儀式。星下り祭りは宝塚市の無形民俗文化財に指定されている。

挿し絵は、市内在住・在学の市民、児童・生徒から募集したものです。

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