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平成30(2018)年11月号 自動翻訳機能対応テキスト版(2面から5面)

ID番号 1027801 更新日  平成30年11月30日  印刷

特集(2~5面)

【2~5面】

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<特集>マンガの神様の原点 宝塚
~手塚治虫 生誕90周年~
手塚治虫記念館(電話番号 81・2970 ファクス番号 81・3660)
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今年11月3日で手塚治虫の生誕90周年を迎えます。マンガの神様と呼ばれる手塚治虫(敬称略、以下同様)の故郷が宝塚市であることを皆さんはご存じでしょうか。今もなお世界中の人々に愛され続ける数多くの手塚作品。それらの作品の創作の原点は宝塚市にありました。
今回の特集では、手塚治虫がどのような人物であったのか、宝塚市とのつながりについてご紹介します。

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手塚治虫を知っていますか?
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『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『ブラック・ジャック』などの有名なマンガを生み出した人物、それが手塚治虫です。
昭和3(1928)年11月3日、大阪府豊中市で生まれ、医学の道を志して医学博士となりますが、結局は一番好きな職業であるマンガ家を選び、昭和21(1946)年に17歳でデビューしてから数多くの作品を生み出し、存命中多くのマンガ家に影響を与え「マンガの神様」と評されました。
平成元(1989)年2月9日、その60年の生涯を閉じますが、手塚作品は日本だけにとどまらずアメリカ、ヨーロッパ、アジアの各国に輸出され、世界中の子どもたちの夢を育み、国際的にも大きな評価を得ています。

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原点は宝塚市にあった
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◎「自然への愛」と「生命の尊さ」を学ぶ
手塚治虫は、5歳から24歳までのおよそ20年間を宝塚市で過ごしました。当時の宝塚は、モダンな宝塚歌劇や宝塚ホテルなどがあったほか、すぐ近くに山や川といった豊かな自然が息づいていました。
幼少期に「蛇神社」「猫神社」とそれぞれ名付けた神社の近くで昆虫採集を楽しむ中で、どんなものにもかけがえのない命があることを見出していきました。そして、青春時代には悲惨な戦争も体験します。
多感な時期を宝塚で過ごし、全ての手塚作品の共通したテーマ「自然への愛」と「生命の尊さ」を学んでいきました。まさに、マンガの神様の原点は宝塚にあったのです。
■蛇神社(御殿山2丁目)
お金の神様として「蛇神」が祭られています。手塚治虫は後年「ここからの眺めが一番好きだった」と語っています。
■猫神社(川面6丁目)
昆虫採集に明けくれた「猫神社」。豊作の神で狐と縁が深い千吉稲荷を、なぜ猫神社と命名したか皆さんも想像してみてください。

◎夢のまちとの出会い
物心のついた頃から、母親に連れられて宝塚大劇場に通いました。自宅の隣には、宝塚歌劇のスターたちが住む歌劇長屋が建っていて、幼い頃は天津乙女(あまつおとめ) ・雲野(くもの) かよ子姉妹に可愛がってもらいました。生涯歌劇のファンであった手塚治虫は、宝塚歌劇から着想を得て『リボンの騎士』を発表するなど、王様やお姫様が登場するファンタジーの世界を自分の中に育んでいきました。
また、当時は「ルナパーク」という遊園地があり、さらに武庫川の右岸と左岸を結ぶ宝塚大橋が完成するなど、花のみちを中心として宝塚は人々にとって「夢のまち」でした。少年であった手塚治虫の目には、『鉄腕アトム』で描いたような未来都市のように見えていたのかもしれません。

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手塚治虫記念館の開設
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平成6(1994)年、宝塚市は手塚治虫記念館を開設しました。「自然への愛」と「生命の尊さ」をテーマに、未来を担う子どもたちに夢と希望を与えるための施設です。地上2階、地下1階の建物は、ヨーロッパの古城をイメージし、エッセイ「ガラスの地球を救え」をモチーフにしたガラス製の地球がシンボルとなっています。
ぜひお越しいただき、手塚治虫の世界を「見て」「触れて」「感じて」みてください。

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手塚治虫のゆかりの地へ
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手塚治虫のたからづかワンダーマップ
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手塚治虫記念館で無料配布されている『手塚治虫のたからづかワンダーマップ』。手塚治虫が少年時代に昆虫を追って駆けめぐった野山の風景が、懐かしい絵柄で描かれています。ぜひ皆さんも手に取ってみてください。

■手塚作品に「宝塚ホテル」が登場!
 『週刊少年サンデー』に連載していた『スリル博士』に宝塚ホテルが登場します(1959年5月28日号)。掲載から4か月後、宝塚ホテルで手塚治虫は結婚式を挙げました。おそらく、この時には既に式場として決まっていて、その思い入れから作品に登場させたのでしょう。

■宝塚市オリジナル婚姻届
 『リボンの騎士』の主人公サファイアをデザインした婚姻届。カップルのお二人を祝福し、市に愛着を持って永く住んでもらいたいという思いを込めています。

■記念撮影コーナー(市役所1階 市民ホール)
 サファイアと一緒に記念撮影できるコーナーを設置しています。大切な人との思い出に、ぜひ写真を撮ってみてください。
※カメラは各自でご用意ください。

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<Special Interview>
ヴィジュアリスト 宝塚市大使 手塚 眞(てづか まこと)さん
手塚プロダクション 社長 松谷 孝征(まつたに たかゆき)さん
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手塚治虫の長男で宝塚市大使を務める手塚眞さんと、手塚治虫のマネージャーを務め、現在は手塚プロダクションの社長を務める松谷孝征さんに、手塚治虫について伺いました。

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宝塚で過ごした経験が手塚作品にどのような影響を与えたのでしょう?
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[松谷]
宝塚は山がすぐそばにあり、昆虫が大好きだった手塚治虫が、自然に触れることができたことが作品に大きな影響を与えたと思います。一度、テレビの取材で手塚と宝塚へ行ったとき、以前に住んでいた家を本当に嬉しそうな顔をしながら案内してくれました。
[手塚眞]
宝塚は自然が多くある一方で、昔から文化的な土地で、歌劇を始め、遊園地など、いろいろな施設がありました。当時、昆虫館があり、本人はとても気に入り、小・中学生のころによく行っていたといいます。自然に触れるだけでなく、どのような生き物なのか裏付ける場所もあった。そこで科学や、命の芽生えを考えるようになったんだと思います。それが一生、本人の作品のテーマになっています。幼少期に宝塚で暮らしたことが影響して、手塚作品の核になる部分が成立したと思います。

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手塚治虫が作品に込めた思いとは
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[松谷]
学生時代、学徒動員の際に空襲を受け、辺りは焼野原になり、川淵にいっぱい動物たちが死んで、すごく悲惨だったそうです。戦争の悲惨さというものを目の当たりにした経験が創作するうえでの力になったと思います。
[手塚眞]
幼少期に戦争と病気という2つの強烈な体験をしたと聞いています。治るか治らないかの窮地に立たされ、命とは何だ、人間の命もそう、物にも命があるんだ、と強く印象付けられた。「命とは何であるのか」は作品の中でも出てきます。単純に命を大事にしようということではなく、そもそも何故、世の中には命というものがあるのか、地球・宇宙のスケールで見たときに人間とか生き物の命とは何かという、命に対する疑問・思いを作品に込めていると思います。また、命を大事にしない人間たちや、戦争に対する疑問を作品の中で描いているんですね。戦争に抵抗したいという思いは強くあったんじゃないでしょうか。

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手塚治虫記念館が宝塚に建てられたのは
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[手塚眞]
本人が亡くなった際に、全国から申し込みがありました。手塚プロダクションと遺族で考え、やはり本人にとって一番の思い出の土地である宝塚に決めました。本人の思いはもちろんのこと、私も宝塚に建てることができて良かったと思っています。
[松谷]
場所はいっぱい探しましたが、歌劇も近く、交通の便の良さもあって、今の場所に決まりました。

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仕事場での手塚治虫について
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[松谷]
机に座って、ひたすら原稿を描き、アニメの仕事もあって、四六時中仕事をしていました。夜3~4時間寝る以外の時間は、全部仕事をして、家へ帰るのは週に2回か3回。仕事に一途でしたね。山ほどマンガを描いたり、アニメを作ったりしているにもかかわらず、編集者に「新しい雑誌が出来たから描いてください」と言われると、すぐに「分かりました。描きます」と答えるほど、物を創作するということに意欲を持っていました。『ブラック・ジャック』では、ほぼ出来上がっていた20ページを全部描き直したこともありました。そのくらい今ある一番いいものを世の中に出したいという気持ちが強かったんだと思います。
また、その時代その時代の子どもが飛びつきやすい絵というものをいつも研究していましたね。アトムを読んでみると、3頭身が4頭身になったりしています。まずは作品を読んでもらうために、常に今の子どもたちが何を望んでいるかを考えていました。

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家庭での手塚治虫について
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[手塚眞]
「家族の集まりというものを大事にしたい」という気持ちをすごく感じました。ただ、現実には家族全員で集まれるのは夕食の時間くらいで、忙しいときには食事すら一緒にできない状況でした。それでも、30分でも時間があれば、できる限りみんなと一緒に食事をする。本人はそれがすごく嬉しかったみたいです。1年に1回くらいは家族旅行をしていたのですが、どこに行き、どこに泊まるのかという事細かなことまで、全部本人が計画を決めるんです。ただ、それも仕事が忙しくて原稿が終わらないと、本人だけ行けないこともありました。それでも3泊旅行の最後の1泊だけ来てくれて…。数時間でもいいから家族といたいという気持ちがあったんだと思います。

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市民の皆さん、子どもたちへ
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[松谷]
『鉄腕アトム』を月刊誌の連載で読んでいた時、大人になってから単行本で読んだ時、その後も何度か読み返した時、いつ読んでも私の感想は「これまた素晴らしい!」でした。年代は全然関係ないので、ぜひじっくりと手塚マンガを読んでほしいですね。
[手塚眞]
まずは「これ読んでみようかな」と手に取り読み始めていただければ、どんどんはまっていくんじゃないかなと思います。どんな作品があるのかは手塚治虫記念館に来ていただければ全部分かります。記念館もリニューアルの話を進めていて、きれいになります。昔一度行った方も、改めて記念館に来ていただければ、また新しい発見があると思います。一度とは言わず、二度三度と記念館に来ていただけたらと思います。

■手塚 眞さん
手塚治虫の長男。ヴィジュアリスト。高校時代から映画・テレビなどの監督、イベント演出、CDやソフト開発、本の執筆などの創作活動を行っている。手塚治虫記念館の名誉館長を務める。

■松谷 孝征さん
マンガ雑誌編集者時代に手塚治虫の担当編集者を経験後、昭和48(1973)年に手塚治虫のマネージャーとして手塚プロダクションに入社。昭和60(1985)年から同社代表取締役社長を務める。

■40面(裏表紙)をCheck!
11月の手塚治虫記念館イベントをご案内しています。

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オススメの手塚治虫作品をご紹介!
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短編作品『百物語』など
<松谷孝征さんオススメ>
『百物語』などの短編作品がおすすめです。読者にどんなメッセージを伝えようとしているのか分かりやすく、大変読みやすいですよ。

『鉄腕アトム』
<手塚眞さんオススメ>
ロボットやAIが話題になっていますので、この機会に『鉄腕アトム』を読んでほしいですね。

『リボンの騎士』
<観光大使「サファイア」オススメ>
私たちのおすすめは、もちろん『リボンの騎士』です。正義感あふれるリボンの騎士サファイアの活躍をぜひご覧ください。

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市民交流部 きずなづくり室 広報課
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