街道をたずねて(有馬街道)

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ID番号 1001175 更新日  2014年11月10日

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古くから、天皇や貴族などが有馬温泉に入湯する際に通過した街道で、大坂・伊丹を経て宝塚市域では、安倉(あくら)、小浜(こはま)、米谷(まいたに)から湯山(有馬)に至る道筋をさします。

姥ケ茶屋(ばんがちゃや)の道標(寛文八年銘)

姥ケ茶屋(ばんがちゃや)の道標(寛文八年銘)

伊丹の大鹿と尼崎から、小浜に到る三又路に作られた道しるべで、寛文八年(1668)の銘があり、兵庫県下最古の道標です。

銘文には「千日かくや」「道心西念」なども記され、隔夜信仰など民間信仰もわかる貴重な資料となっています。

【阪神バス安倉団地前下車。東へ徒歩約1分】

住吉神社

住吉神社

大阪住吉大社の末社の一つ。
上筒男命・中筒男命・下筒男命や応神天皇を祭り、社伝では天長二年(825)創建とされるが、詳細は不明です。

安倉七森・七塚のうち、ここがその一つの森ともされています。
10月の秋祭りには山車も巡行します。

【阪神バス宝塚駅から総合福祉センター前下車。東へ徒歩約3分】

小浜宿(こはまじゅく)と小浜宿資料館

小浜宿(こはまじゅく)と小浜宿資料館

小浜は、明応年間(1492~1500)に、真宗寺院・毫摂寺(ごうしょうじ)の寺内町として成立したところで、自然の要害としての地形を利用した近畿一円の真宗寺院と共有する立地です。

戦国時代の終わり頃には、豊臣秀吉や秀次が有馬入湯の折り、立ち寄ったという伝承もあり、その際、名水「玉の井」から汲んだ水で千利休に茶をたてさせ、喫茶を楽しんだという口伝も残っています。

江戸時代には、小浜が交通の要衝であるところから、幕府の庇護を受けて栄え、宿場町「小浜宿」として、旅篭・脇本陣・木賃宿や、商家・馬借・芝居小屋などが軒を連ね、大変な賑いを見せていました。

小浜は江戸時代には酒造りの技術をもった場所であり、井原西鶴の『日本永代蔵』にも、この酒造流儀が「小浜流」として紹介されています。

また、腕の良い大工や左官のたくさんいた町として知られ、大工組「小浜組」を結成していました。
首から上の病気を直すといわれる「首地蔵」(くびじぞう)や、小浜出身の力士「谷風岩五郎の墓」などが残されています。

平成6年には、この小浜に、宝塚市立小浜宿資料館(電話:0797-81-3655)が設置され、小浜地域の民俗資料などを保存し、紹介する施設となっています。

【阪神バス宝塚駅から小浜下車。北へ徒歩約1分】

毫摂寺(ごうしょうじ)

毫摂寺

浄土真宗の本願寺派のお寺で、寺名は本願寺覚如の別号「毫摂」をとってつけられました。

15世紀末の明応年間の創建と伝えられ、豊臣秀次の側室となった亀姫伝説の悲話も残っており、また江戸時代には八本松の名所として、『摂津名所図会』などにもあらわれます。
現在の本堂は江戸後期の建築です。

【阪神バス宝塚駅から小浜下車。北へ徒歩約1分】

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