宝塚市名誉市民など
宝塚市名誉市民
- 小林 一三(こばやし いちぞう)さん(1873~1957)
昭和32(1957)年1月29日贈呈
明治43(1910)年、箕面有馬電気軌道株式会社 専務取締役として梅田-宝塚間営業を開始した後、阪急電鉄社長、会長を務め、大正2(1913)年には宝塚唱歌隊(現 宝塚歌劇団)を創設するなど、観光都市としての発展に寄与されました。 - 平塚 嘉右ヱ門(ひらつか かえもん)さん(1875~1953)
昭和34(1959)年5月15日贈呈
良元村村長、武庫郡会議員、兵庫県議会議員を務め、武庫川逆瀬川護岸工事や道路網の新設、上水道の敷設など郷土開発に尽力。宝塚旧温泉、宝塚ホテル、宝塚ゴルフ倶楽部を創設し、観光住宅都市としての基礎を築かれました。 - 小野 兵一(おの ひょういち)さん(1899~1969)
昭和45(1970)年12月3日贈呈
昭和42(1967)年、市内に財団法人 小野茶之寿会を創設。長寿老人ホーム花屋敷マンションを建設し、社会福祉事業の発展に寄与されました。(花屋敷マンションは、没後、昭和45(1970)年6月、ご遺族から宝塚市へ寄附されました。) - 春日野 八千代(かすがの やちよ)さん(1915~2012)
平成12(2000)年3月27日贈呈
昭和4(1929)年に宝塚歌劇の初舞台を踏み、約80年間の長きにわたり舞台生活を続け、宝塚歌劇の発展を担われました。昭和24(1949)年には宝塚歌劇団理事に就任。長年にわたり素晴らしい舞台活動を続け、「タカラヅカ」の名を全国的なブランドに高められました。 - 手塚 治虫(てづか おさむ)さん(1928~1989)
平成12(2000)年3月27日贈呈
5歳から約20年間、宝塚市に在住。日本を代表する漫画家として、約42年間、常に新しい分野に挑戦し、その作品は世代を超えて多くの読者に感動を与え、「自然への愛と生命の尊さ」を伝えてこられました。その活動は、漫画史に大きな足跡を残すとともに、日本のみならず世界中の文化や経済にも影響を与えられています。
※小林一三さん、平塚嘉右ヱ門さん、小野兵一さんは、宝塚市功労者顕彰条例に基づき、宝塚市功労者となられていましたが、宝塚市名誉市民条例施行(平成11(1999)年6月30日)により、宝塚市名誉市民となられました。
宝塚市特別名誉市民
木接太夫 きつぎだゆう (坂上頼泰(さかのうえよりやす)公)(1515~1597)
平成29(2017)年3月20日贈呈
永正12(1515)年に山本郷(現在の宝塚市山本地区)に生まれ、花木を育培する中で、植物の品質向上を図る画期的な技術となる「接ぎ木」の技術を発明し、園芸会に不滅の功績を残しました。木接太夫の功績は、小学校3,4年生の社会科副読本「わたしたちのまち宝塚」でも紹介されており、宝塚市の子どもたちにも親しまれています。
宝塚市国際友好名誉市民
ボブ・ヤングさん(元オーガスタ市長)
平成11(1999)年9月2日贈呈
宝塚オーガスタ姉妹都市提携10周年記念交流事業のために来訪されたアメリカ合衆国オーガスタ市長ボブ・ヤングさんへ最高の歓迎と敬意を表するとともに、両市のきずなが一層強まることを願って贈呈しました。
※宝塚市名誉市民条例に基づき、特別名誉市民となられていましたが、同条例の改正(平成28(2016)年12月20日)により、宝塚市国際友好名誉市民となられました。
宝塚市市民栄誉賞
宝塚歌劇団
平成26(2014)年4月19日贈呈
宝塚歌劇団は、大正3年(1914年)の初舞台から100年の永きにわたり、夢の舞台を繰り広げられ、世界に誇る文化芸術として多くの人々を魅了しておられます。広く市民に愛され続けるとともに、歌劇のまち宝塚は、市民の喜びであり、誇りとなっています。
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