宝塚市大使 細川貂々の4コマ漫画「てんさんぽ」その21~40

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ID番号 1046447 更新日  2024年6月14日

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「てんさんぽ」とは?

「てんさんぽ」とは、宝塚市大使でベストセラー作家である細川貂々さんの4コマ漫画で、毎月「広報たからづか」に掲載しています。
ちょっとした「宝塚の魅力」をマンガを通して発信していただいていますので、ぜひご覧ください。

©細川貂々(てんてん企画)

※ページ内の画像の転載を禁止します。

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てんさんぽ その21

てんさんぽ21回目画像 仁川駅の線路わきのお地蔵さんについて
(細川貂々さんのコメント)
 仁川駅の東口から出て、宝塚方面の線路脇のところに、駅に入って行く人たちを見守るように複数のお地蔵さまが並んでいます。色あせた赤い前掛けをしています。
どういう意味があるのだろうと思ったら「六道」と書かれた看板があるだけで、お地蔵さまのことは何も書いていないのでした。よく見ると、線路脇には墓地があります。
「六道」というのは、死んだ人が生まれ変わってまた苦しみを続けるということで、そのことを意識させるために墓地の入口に作られているらしいです。
 遠い未来に弥勒菩薩が来るときまで、地蔵菩薩がこの世を守ってくれているのだそうです。

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てんさんぽ その22

てんさんぽ22回目画像 安倉の水上ゴルフの練習場
(細川貂々さんのコメント)
 上の池は安倉北に位置しています。安倉という地名は、聖徳太子がこの地を訪れたとき、鞍(くら)を休めたという伝承からつけられたということです。
池の歴史も古そう。上の池は、池というにはかなり広く、周囲を歩くだけでもちょっとした散歩になり、遠くの山も良く見えホッとします。
 端のほうは埋め立てられて「上の池公園」となっており、築山や遊具、広場もあります。池の真ん中に、橋ではなく、細い遊歩道があって、池の上を歩いているような感じで歩けるのもすてき。そして、あの水上ゴルフ練習場。ぽちゃんとボールが落ちるのが楽しそう。

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てんさんぽ その23

てんさんぽ23回目画像 丁字ケ滝について
(細川貂々さんのコメント)
 丁字ヶ滝(ちょうじがたき)は、宝塚駅から宝来橋を渡ったところの道、生瀬門戸荘線を生瀬側に歩いて5分くらいの場所にあります。滝からすぐ下って武庫川に合流する川の名前も丁字ヶ滝(ちょうじがたき)川(がわ)。武庫川には見返り岩という大きな岩の地形がある場所なので、過去に大きな地形変化があって崩れてきた場所なのかも。
 滝に通じる道も昨年崩れて、地元の人たちが新しい道を確保してくれていました。ふだんはちょろちょろと水が落ちているだけだけど、雨が降るとあっという間に増水するようです。付近の地名「長寿ガ丘」も「丁字」に由来するものかもしれません。

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てんさんぽ その24

てんさんぽ24回目画像 平林寺について
(細川貂々さんのコメント)
 平林寺(へいりんじ)は、逆瀬川駅と小林駅の間の、阪急今津線の線路からすぐのところにあります。山側に坂道を登ったところにあるので、お寺からは阪急電車を見下ろすことができます。飛鳥時代に聖徳太子の命で創設されたとの説も。戦国時代に焼失し、今のお寺は江戸時代に再興されたもので、真言宗派に属しています。
 お寺の庭に無造作に鬼瓦のようなものが並べられていましたが、それは花崗岩(かこうがん)で作られた「石造(いしづくり)露盤(ろばん)」というもので、形状から鎌倉時代中期後半に作られたものと推定されるらしいです。お寺の屋根にもすでにいっぱいあるので、時々取り替えているのかな。

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てんさんぽ その25

てんさんぽ25回目画像 高碕記念館について
(細川貂々さんのコメント)
 雲雀丘にある高碕(たかさき)記念館(きねんかん)に行ってきました。
 雲雀丘には「景観重要建造物」というものがいくつもあり、この高碕記念館は大正12(1923)年に、ウィリアム・M・ヴォーリーズの設計で建設されたということで、その中でも代表的なものとなっています。お庭はいつも公開されていますが、建物を見学するには予約(ホームページまたは電話)が必要です。
 建物を所有していた高碕達之助さんは、東洋製罐(せいかん)という缶詰の会社を興し、やがては政治や外交の舞台で活躍された方ですが、動物が大好きで、このおうちでもワニやニシキヘビ、ダチョウなどを飼育されていたらしいです。庭にも大きなヤシの木があって、ちょっとトロピカル。

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てんさんぽ その26

てんさんぽ26回目画像 月見橋近くの祠について
(細川貂々さんのコメント)
 月見橋の近くにあるこの祠(ほこら)は、昔、塩尾寺(えんぺいじ)が女人禁制だったため、お参りに行けない女性たちのために大阪の篤志家(とくしか)の方が建てたのだそうです。この祠の意味を調べることが塩尾寺の歴史とつながっていることに驚きました。そして温泉街で働く人たちにとって塩尾寺は特別な存在だったのだなあと思いました。
 今の塩尾寺は誰でも行くことができるお寺です。坂道がとてもキツイですが、のぼっていく途中に宝塚市内を見渡せる場所などがあり、これからの季節、お散歩がてら月見橋の祠にお参りしたあとに塩尾寺まで歩いて行ってみても良いかもしれません(歩きやすい靴と飲み物は必須です)。

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てんさんぽ その27

てんさんぽ27回目画像 高司のスサノオ神社について
(細川貂々さんのコメント)
 高司にある素盞嗚(スサノオ)神社に行ってきました。
神社に書いてあった文字 は難しくて、漫画に書いたもののほうが常用漢字です。地図で見つけて自転 車で行ってみたのですが、大きな道路から入って行きにくい場所にあり、住宅街の中に正面の入り口がありました。高司第一公園というところが近くなので、そこから行けるのかと思って入ってみたのですが、神社の境内は見えるのに、そこからは入れませんでした。
 実際に神社に入ってみると、平たい地形にいろいろな摂末社(せつまつしゃ)があり、その数は14もあるそうです。戎さまや天神さまなどテーマパークみたいにいろいろありました。

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てんさんぽ その28

てんさんぽ28回目画像 宝塚温泉まつり
(細川貂々さんのコメント)
 階段を行ったり来たりしながら「どの辺に神社があったんだろうね」と何か手がかりがないか探しました。地元の方に聞いたところ、宝塚温泉神社(宝鉱神社)は火事で焼けてしまいそのま無くなってしまったそうです。なので何も残っておらず、写真も1枚くらいしかないようです。それも神社の鳥居と石段の写真しかないようです。もしもこれを読んで「その神社のこと知ってるよ!」という方がいましたら何か教えていただけたらうれしいです。宝塚市の昔の記憶を残していけたらいいなと思っています。
温泉まつり実行委員会 電話0797-81-8963

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てんさんぽ その30

てんさんぽ30回目画像 武田尾温泉
(細川貂々さんのコメント)
 武田尾温泉は、関ヶ原の戦いの後に豊臣方の落ち武者であった武田尾直蔵《たけだおなおぞう》という人が発見した場所なので、彼の姓にちなんで、そのような名前になったとされています。かつては絶景が楽しめる温泉街として栄えていた時代もあったのですが、今では宿泊できる温泉宿としては「紅葉館別庭あざれ」のみが営業しています。本数の多いJR線が停車する駅のすぐ近くなのに、ちょっと残念だなあと思いました。足湯はその温泉宿のすぐ下に位置していて、無料かつ予約不要で、ふらりと訪れても入ることができるスポットです。午後6時までの営業となっています。

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てんさんぽ その31

てんさんぽ31回目画像 武庫川
(細川貂々さんのコメント)
 宝塚の中心を流れている、武庫川については、宝塚歌劇の大劇場があるほうが 左岸、ホテル若水があるほうを右岸と呼ぶそうです。左岸側はキレイに整備されていましたが、右岸側はつい最近まで人が入れるような場所ではありませんでした。最近きちんと整備されて芝生を植えてウォーキングしたり犬の散歩ができるようになりました。イベントもできるようになり、202l年から温泉まつりや右岸まつりをしています。毎月第一日曜に朝市も開催されててにぎわいつつあります。

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てんさんぽ その32

てんさんぽ32回目画像 万年坂地蔵石仏
(細川貂々さんのコメント)
 この大きな岩のお地蔵さんは「地蔵石仏」といって宝塚市の指定文化財です。 鎌倉時代後半に作られたのだそうです。以前から行ってみたいなと思っていたの ですが、実物を見たら思っていたより大きな岩で「こんなんどうやってここに 持ってきたの?それともずっとここにあった岩にお地蔵さんを掘っの?」ととても興味深く感じました。このお地蔵さんに見守られてる街は素敵だなと思いました。

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てんさんぽ その33

てんさんぽ33回目画像 塔の町
(細川貂々さんのコメント)
 塔の町《とうのちょう》の名前の由来となっている「塔」は、小林駅の西側に位置する小林聖心女学院に設立されている「アンジェラスの鐘塔」です。この塔は1927年に建築家アントニン・レーモンドによって設計され、作られたそうです。登録有形文化財に指定されています。今回の散歩では、千種の桜並木を歩いて、小林聖心女学院の裏から接近して行ったのですが、どこからも塔が見えませんでした。小林駅に下って行く、通学路の守衛さんに確認したところ「今は竹林がうっそうとしちゃって近くからは見えないねえ」と言われてしまいました。でも少し離れるとあちこちで見えるところがあるようです。

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てんさんぽ その34

てんさんぽ34回目画像 あいあいパーク
(細川貂々さんのコメント)
 阪急宝塚線の山本駅から南に出て、西にちょっと行ったところに「あいあいパーク」があります。国道176号線をまたぐ形で、南の新池、北の沢池という、昔からある溜池の周りに公園が作られています。沢池エリアには施設があり、おしゃれな食堂や、パン屋さん、園芸用品ショップ、野菜や観葉植物の苗などを販売しているお店があります。新池エリアには最初に目立つのが英国風庭園。私が行ったときは定期テストで早く下校する高校生たちがお昼ごはんを食べていました。休日には子どもたちやペットが走り回っているそうです。南西側には日本庭園があってガラッと空気が変わる感じが好きです。

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てんさんぽ その35

てんさんぽ35回目画像 宝塚聖天
(細川貂々さんのコメント)
 宝梅中学校の裏側あたりに、宝塚聖天があります。正式には「東寺真言宗・宝 塚聖天・七宝山了得密院」というお寺になります。阪急今津線の宝塚南口の駅の西側、旧宝塚ホテルがあった近くに「宝塚聖天」と書かれた石碑があり、ここが「聖天通り」という参道のスタート位置になるようなので、ここから聖天様まで歩いてみました。聖天通りはだんだん支多々川に沿った坂道になり、歩いていると汗ばむくらいでした。毎月1日と16日は「聖天さんの日」として午前10時半から般若心経の読経会などが催されているようです。敷地の隣の墓地には飛行機があって、ちょっとびっくりします。

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てんさんぽ その36

てんさんぽ36回目画像 売布神社
(細川貂々さんのコメント)
 阪急宝塚線の駅名にもなっている売布神社《めふじんじゃ》です。鳥居の横に立っている石碑には旧字体で「賣布神社」と書かれています。神社の文字も「示」の偏で、土のところには点が打たれていました。ともかくとっても古い、1400年も前に建てられたものらしいです。入口の脇には小学校があり、にぎやかな声が聴こえていました。売布神社は下照姫命《したてるひめのみこと》という、『古事記』や『日本書紀』に登場する女神を祀った神社です。この女神は民に稲作や布を織ることを教えたとされています。お隣り三田市には同じ女神を祀る「高売布神社《たかめふじんじゃ》」という神社もあるので、そのうち行ってみたいなあ。

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てんさんぽ その37

てんさんぽ37回目画像 上の池
(細川貂々さんのコメント)
 「安倉下の池」は小浜を通って伊丹・大阪へと続く有馬街道のそばにある溜池で、周囲は「下の池公園」という緑地になっています。私たちが訪れたときは、
池の水も少なくて、周囲が水色のフェンスで囲まれているので、ちょっと殺風景な感じでしたが、池の周りにはぐるっと桜の木が植えられているので、春には素晴ら
しい景色になっていることでしょう。上の池からはちょっと距離があり、むしろ天王寺川を挟んだ向かいに伊丹市の鴻池第一公園と、西池・黒池という池があって、
そこと近いのです。鴻池は明治時代は長尾村の一部で、市制施行のおりに三週間だけ宝塚市に所属していたことがあったそうです。

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てんさんぽ その38

てんさんぽ38回目画像 宝塚温泉
(細川貂々さんのコメント)
 今でも入れる宝塚の温泉は、ナチュール・スパ、ホテル若水、宝塚ワシントンホテル、(この3箇所は同じ源泉から温泉を引いてます)そして、武田尾温泉 紅葉館別館あざれ、宝乃湯です。
 800年前和歌に書かれた「小林の湯」はどのへんにあったのかはわからないそうです。昔の本を読むと中洲にも温泉が湧いていたようです。今も武庫川をよーく見てみるとブクブク炭酸が出ているので、何年か後にまたどこかで新たな源泉が見つかったりするかもしれません。
 宝塚の街はどんどん変化し続けてるのでまた「温泉の街 宝塚」時代がまた復活することもあるかもしれないですね。

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てんさんぽ その39

てんさんぽ39回目画像 迎宝橋
(細川貂々さんのコメント)
 迎宝橋跡は橋が台風で流されてしまってから、その痕跡はずっと放置された状態にありました。左岸の跡は工事を繰り返すことで、何もなくなってしまいましたが、右岸の跡地はずっと残されていました。しかし、周囲に木や草が生え、隠れてしまっていたため、誰も気づかない状態になっていたのです。
 それを数年前に地元の人たちが再確認して、周囲の草を刈ったり木を切ったりして、歴史の承認のようなランドマークとして復活させたのです。
 でも、安全対策のフェンスを立ててしまったため、石柱などに触れたりすることが難しく、遠巻きにして見ることしかできないのがちょっと残念かな。

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てんさんぽ その40

てんさんぽ40回目画像 最明寺滝
(細川貂々さんのコメント)
 最明寺滝という名前から、近くにお寺があったのかと思ったのですが、そういう名前のお寺が存在したということではなく、鎌倉時代の執権、北条時頼《ほうじょうときより》が、出家して最明寺入道と名乗り、この地で庵を作って修行をしたという由来があるのだそうです。宝教寺という朝鮮半島由来のお寺も近くにあり、そのお寺にお参りする人たちの作った水の祠なども作られています。また、源氏の祈願寺である満願寺というお寺も近くにあります。(満願寺は周囲を宝塚市に囲まれていますが、川西市の飛び地です)
※現在は安全対策として許可なく行くことはできません。

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