宝塚の民話・第2集の14

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ID番号 1003686 更新日  2014年11月10日

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泉流寺のねむり観音(せんりゅうじのねむりかんのん)

そのむかし、奈良時代のこと、長谷寺(はせでら)(注1)の徳道上人(とくどう じょうにん)(注2)という人が、西国の観音霊場三十三箇所(かんのんれいじょうさんじゅうさんかしょ)(注3)を決めることとなり、紀伊の国(きいの くに)(注4)・熊野、那智山の青岸渡寺(せいがんとじ)(注5)を一番札所として二番、三番と決めながら、諸国の観音霊場を行脚(あんぎゃ)していました。

山本の北、長尾山麓の南にある泉流寺(せんりゅうじ)(注6)の観音様は、三十三箇所観音霊場(さんじゅうさんかしょかんのんれいじょう)の話を風のたよりに聞いて、「自分もその中に入れてもらえるに違いない」とそれは楽しみに、徳道上人のおつきを今か今かと待っていました。
ところが、「徳道上人が箕面の勝尾寺(かつおじ)(注7)にお着きになり、二十三番札所になされた」と聞き、「次はいよいよ、自分の所だ」と思ったとたん、待ちくたびれてとても眠くなってきて、がまんできず寝入ってしまわれました。

泉流寺にお着きになった徳道上人は、寝入っている観音様を見て、「起きてくだされ」と何度も体をゆすってみたりしましたが、おきません。
「これはきっと観音霊場に入るのをいやがって、居眠りをしているのだろう」と、次の中山寺の十一面観音様を二十四番札所と決めて、旅立たれてしまいました。

泉流寺のねむり観音の挿し絵

それから、しばらくして目を覚ました泉流寺の観音様は、その事を知って、じだんだを踏んで悔しがりましたが、あとのまつりです。
観音様はちょっとした気の緩(ゆる)みから居眠りをしてしまい、とんだ失敗をしてしまったことを後悔し、それからは深い眠りにつくことなく、昼でも夜でも訪れる人々の祈願をお聞きになられたということです。

特に、居眠りで失敗した人に対する御利益(ごりやく)が大きかったところから、近くの里の人達は、この観音様のことを「いねむり観音」や「ねむり観音」と呼んで、親しんだそうです。

 

注釈

(注1)長谷寺(はせでら)
奈良県桜井市にある真言宗の本山。本尊は十一面観音菩薩。西国三十三箇所霊場の八番札所。

(注2)徳道上人(とくどうじょうにん)
奈良時代の高僧。死後蘇生(そせい)し、閻魔大王から授けられた印を中山寺の石櫃(いしびつ)に納めたという。西国三十三箇所霊場めぐりを始めたと伝えられる。

(注3)三十三箇所観音霊場(さんじゅうさんかしょかんのんれいじょう)
近畿一円から岐阜県の華厳寺に至る観音菩薩の霊場。徳道上人がはじめたとされる説や、花山法皇(かざん ほうおう)が始めたとする説などがある。

(注4)紀伊の国(きいのくに)
現在の和歌山県の旧国名

(注5)青岸渡寺(せいがんとじ)
和歌山県那智勝浦町にある真言宗のお寺。観音堂にある十一面観音菩薩。西国三十三箇所霊場の一番札所。

(注6)泉流寺(せんりゅうじ)
宝塚市山本台にある曹洞宗のお寺。観音堂にある十一面観音菩薩は室町時代中期頃のもので、宝塚市指定文化財。地元で「ねむり観音」と呼ばれる。

(注7)勝尾寺(かつおじ)
大阪府箕面市にある西国三十三箇所霊場の二十三番札所。

挿し絵は、市内在住・在学の市民、児童・生徒から募集したものです。

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