宝塚の民話・第1集の4

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ID番号 1003704 更新日  2014年11月10日

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塩尾寺と宝塚温泉(えんぺいじとたからづかおんせん)

塩尾寺と宝塚温泉の挿し絵

むかし、宝塚の川面(かわも)のあたりに、一人の女が近所の手伝いをしたり、着物を縫(ぬ)ったりして日銭(ひぜに)をもらい、その日その日を暮らしていました。
この女は信仰心(しんこうしん)もあつく、親切で皆に喜ばれているのに、なぜか少しも生活は良くならず、おまけに50を過ぎた頃から吹(ふ)き出物に悩(なや)まされ人相(にんそう)も変わるほどになりました。
あらゆる治療(ちりょう)をしてみても、少しも良くなりません。
思いあまり、日頃から信心(しんじん)している中山寺(なかやまでら)(注1)の観音様(かんのんさま)(注2)に祈願(きがん)しました。朝な、夕な、一心にお参りを続けて、何日かが過ぎました。

ある晩(ばん)のこと、観音様が夢枕(ゆめまくら)にお立ちになり、
「お前は生まれ替(か)わる前は長者(ちょうじゃ)の娘であった。しかし、何の不自由(ふじゆう)もない暮らしであったにもかかわらず、心が狭(せま)く我(わ)がままで、思いやりを持たない娘であった。あるとき家で働いていた娘が、ちょっとした失敗(しっぱい)をしたのをなじり、いじめて死に追いやった。その吹き出物はその娘のたたりじゃ。しかし、そなたの永年(えいねん)の信心(しんじん)が罪(つみ)をつぐなった。鳩ヶ淵(はとがぶち)の下手(しもて)に大きな柳の大木(やなぎのたいぼく)がある。その木の下を掘ると、塩からい水が出てくる。その水を沸(わ)かして入ると、その吹き出物は治(なお)ってしまう。」
と言うと観音様の姿(すがた)はスッと消えてしまいました。

夜(よ)が明けるのを心待ちにし、急いで鳩ヶ淵(はとがぶち)にかけつけ、柳の大木の下を一心に掘っていくと、間もなく水がコンコンと湧(わ)き出ました。なめてみると確(たし)かに塩からいのです。
急いでその水を沸(わ)かして入ってみると、あれほど苦(くる)しんでいた吹き出物の腫(は)れも引き、熱(ねつ)っぽさも取れました。
二度、三度と続けるうちに、観音様の御利益(ごりやく)のすばらしいこと、吹き出物はすっかり治っていました。
女は観音様に深く感謝(かんしゃ)しました。そして前世(ぜんせい)での自分の行いを反省(はんせい)して、その柳の大木で、観音様の像(ぞう)を彫(ほ)り、荒れ寺(あれでら)になっていた塩尾寺(えんぺいじ)(注3)にお祀(まつ)りしました。
この観音様が塩尾寺の御本尊(ごほんぞん)の十一面観音(じゅういちめんかんのん)です。

塩尾寺には、この御利益(ごりやく)に授(さず)かろうと、その後大勢(おおぜい)の人々がお参りに訪(おとず)れました。また、この時湧き出た(わきでた)「塩からい水」が宝塚温泉の元湯(もとゆ)となり、長い間病(やまい)に苦しんでいた人達が大勢、湯浴(ゆあ)みに訪れるようになりました。
その上、品物を売る人達の店が連(つ)らなり、里は「伊孑志千軒(いそしせんげん)」と言われるほどのにぎわいを見せたということです。

注釈
(注1)中山寺(なかやまでら)
真言宗中山寺派の本山で、宝塚市中山寺1にある。本尊は十一面観音菩薩。
西国三十三ケ所観音霊場の二四番札所。寺伝では聖徳太子の開基とされる。
安産祈願で有名。山号は紫雲山。

(注2)観音様(かんのんさま)
観世音菩薩のこと。
大慈大悲で衆生を救うことを本願とする。阿弥陀如来の脇侍。
法華経の普及に伴い広く崇拝された。

(注3)塩尾寺(えんぺいじ)
聖徳太子の開祖と伝えられる浄土宗のお寺。
本尊は十一面観音菩薩。
温泉の根源とされ、潮泉山の山号を持つ。

挿し絵は、市内在住・在学の市民、児童・生徒から募集したものです。

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