宝塚の民話・第2集の5

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ID番号 1003696 更新日  2014年11月10日

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中山寺の弥助(なかやまでらのやすけ)

中山寺の弥助の挿し絵

今から百年以上むかし、明治のはじめの頃のこと。中山寺に弥助という大変正直な寺男(てらおとこ)がいたそうです。弥助は諸国巡礼(しょこく じゅんれい)の途中、中山寺まで来て、どう気が変わったのか、そのまま居着いてしまったのだそうです。

寺では弥助がどこから来たのか、素性(すじょう)さえもわかりませんでしたが、境内(けいだい)の掃除(そうじ)、寺の使い走りとよく働き、そのうえ正直者の弥助を重宝(ちょうほう)がり、そのまま住まわせていました。

それから何年もたち、弥助も年を取って体も弱り、今日か明日とも知れぬ体になりました。看病(かんびょう)していた一人のお坊さんが「昔から人は生まれ変わるとよく言われるが、このように仏のような正直者の来世(らいせ)はどうなるのか見てみたいものですね」と言い出しました。
「一度試してみてはどうだろう」ということになり、弥助が息を引き取ると、右の手のひらに「中山寺の弥助」と書いて丁寧(ていねい)に弔(とむら)いました。そして、供養の為に地蔵菩薩(じぞうぼさつ)(注1)の像を境内に建てました。

それから一年程たったある日のこと、酒造りで名高い灘(なだ)(注2)の主人と名のる立派な身なりの人が供をつれて中山寺を訪ねてきました。
その人がいうには「この者は私共の番頭(ばんとう)です。どうしたことか、この家に生まれた男の子の右手が硬く握られたまま開かないと相談に来ました」
「そ、そうなんです。手のひらを洗ってやろうとしても、洗えませんし、それよりも、一生このままだったらと心配で、心配で……」

「そこで祈祷師(きとうし)に頼んで無理やり手を開いてみると、右の手のひらに“中山寺の弥助”と書いてありました。何度洗っても、何でこすってみても字は消えません。それで祈祷師がいうには、それは前世(ぜんせ)の人の名であろう。その人のお墓の土でこすると、消えるはずだということで、こちらを訪ねればその人のお墓がわかるのではないかと思い、お訪ねした訳でございます」
そこまで聞くと、和尚はびっくり「まさに弥助の生まれ変わりじゃ。ほんとうに良かった、良かった」と弥助の生まれ変わりの良さを喜びました。

正直者で働き者の弥助さんの話を聞いた二人の男達は、さっそく弥助さんのお墓の土を持ち帰り、赤ん坊の手のひらをこすってみると、なんとも簡単に文字は消えてしまいました。
番頭さんは安心し、「この子もきっと弥助さんのような正直者で働き者になるだろう」と大喜びだったそうです。

注釈
(注1)地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
釈迦の付託を受け、釈迦の入滅後、弥勒菩薩の出現するまでの間、無仏の世界に住み、六道の衆生を救うとされる菩薩。

(注2)灘(なだ)
西宮市から神戸市にかけて、酒造りとして栄えた所。六甲山系の良質の水を使った名酒ができる。また港に近く、全国へ酒を送り出す地の利の良さから、江戸時代以降に栄えた。

挿し絵は、市内在住・在学の市民、児童・生徒から募集したものです。

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