宝塚の民話・第1集の3

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ID番号 1003710 更新日  2014年11月10日

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伊和志津神社の虎(いわしづじんじゃのとら)

伊和志津神社の虎の挿し絵

戦国時代、加藤清正(かとうきよまさ)(注1)という優れた武将がいました。
この加藤清正が朝鮮へ出兵して帰るとき、豊臣秀吉(とよとみひでよし)(注2)への土産(みやげ)にと、虎を生け獲り(いけどり)にして連れて帰りました。
しかし、大阪城内で危険な虎を飼(か)うわけにはいきません。そこで、広い境内(けいだい)を持っていた伊和志津神社(いわしづじんじゃ)が選ばれ、境内の隅(すみ)の藪(やぶ)のなかで飼うことになりました。

ところが、虎はけものの肉は食べますが、その頃牛の肉など簡単に手に入りません。しかたなく里の人たちは、毎日犬を捕(つか)まえては虎に与えていました。
そのうち、伊孑志(いそし)の里には一匹(いっぴき)の犬もいなくなってしまいました。腹をすかした虎が暴(あば)れ出しては大変です。そこで虎の世話をしていた猟師(りょうし)は、しかたなく自分の飼っていた猟犬(りょうけん)を餌(えさ)にすることにしました。
「すまんな。しかたないのだ。虎の餌になってくれ。」と言い聞かせ、愛犬を虎のいる藪のなかに入れました。

ところが、その犬は一気に虎の喉笛(のどぶえ)にかぶりつき、離そうとはしません。
驚(おどろ)いたのは里の人達です。大切な預かり物の虎に、もしものことがあっては大変です。なんとか犬を虎から離そうとしましたが、どうすることもできませんでした。
あわてた村の役人が大阪の奉行所(ぶぎょうしょ)へ駆(か)け込んで、事の次第(しだい)をおそるおそる説明しますと、「なに、虎が犬にかぶりつかれておとなしくしているとォ。そんなものは虎ではない。猫にでもなったのであろう。すておけ!」と言われて跳(と)んで帰ってみると、虎はすでに犬に咬(か)み殺されていました。

なんのおとがめも受けずに済んだ里人達は、もう虎の餌の心配をすることも無くなり、喜びました。
そして、伊孑志(いそし)の里にはいつの間(ま)にか、犬が駆(か)け回り、鳴き声が聞こえるようになりました。
伊孑志(いそし)は虎と縁(えん)があったので「イトラシ村」とも呼(よ)ばれていたと伝えられています。

注釈
(注1)加藤清正(かとうきよまさ)
1562~1611、安土桃山時代の武将。通称「虎之助」。
豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の合戦などで活躍。1588年、肥後(熊本)半国を与えられ、熊本城を築く。
秀吉の朝鮮での戦争(文禄・慶長の役)に参加して奮戦した。
関ヶ原の合戦で徳川方に属し、肥後52万石を与えられた。

(注2)豊臣秀吉(とよとみひでよし)
1536~1598、安土桃山時代の武将。
織田信長に仕え、次第に頭角を表し、木下藤吉郎、羽柴秀吉等と名のる。 1572年近江の浅井長政をやぶり、次第に勢力を伸ばし天下統一を果たした。太閤となり、検地や刀狩を行い、兵農分離などを確立した。

挿し絵は、市内在住・在学の市民、児童・生徒から募集したものです。

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