宝塚の民話・第1集の10

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ID番号 1003698 更新日  2014年11月10日

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辻の聖人(つじのしょうにん)

辻の聖人の挿し絵

今から300年程昔、中山寺に「秀(しゅう)はん阿闍梨(あじゃり)(注1)」、「辻の聖人(つじのしょうにん)」 と呼ばれた高僧(こうそう)がいました。この高僧は、幼い頃から何をさせても誰にも負けない程ひいでていました。知恵(ちえ)ばかりでなく、腕力(わんりょく)、体力も人並みはずれの剛健(ごうけん)で、「彼の右にでる者はない」と言われていました。 弁(べん)もたち、知らないことは無いといっていい程の人でしたが、驕(おご)りたかぶることもなく、人々から深い信頼(しんらい)を得ていました。
その頃、安倉村(あくらむら)の若者が、美しい娘をめとりました。 ところが、この娘は美しいが故(ゆえ)に村の皆(みな)にちやほやされ、わがままの言い放だい(いいほうだい)、気ままのし放だい(しほうだい)で、家事(かじ)もろくろくしないものですから、困(こま)りはてた若者はとうとう離縁(りえん)してしまいました。

それからしばらくして、人の勧(すす)めもあって後妻(ごさい)さんをもらいました。
働き者(はたらきもの)の嫁(よめ)さんで気持ちも合い、ふたりは仲(なか)むつまじく、幸せに暮(く)らしていました。
ところが、ある夜のこと、後妻が眠(ねむ)っているとき、何かに胸を押(お)さえ付(つ)けられるような苦(くる)しみを覚(おぼ)え、目が覚(さ)めました。
それからそんな日が何日も続(つづ)きました。
思い余(あま)った後妻は、眠ったふりをして様子(ようす)を見ていますと、窓がスッと開いて先妻(せんさい)が美しい化粧(けしょう)をして入ってくるではありませんか。息(いき)をころしていますと、後妻の横に座(すわ)り込(こ)み、ねたましそうに、しげしげと睨(にら)みつけて動きません。
後妻はたまらなくなり、「何故(なぜ)毎晩(まいばん)のようにそうして、出てくるのです。」と声を掛(か)けました。すると先妻は狂(くる)ったようになり、そこらにあった家具(かぐ)を投げつけたり、後妻の髪の毛(かみのけ)を引っ張(ひっぱ)ったりしていじめました。
あまりの恐(おそ)ろしさに、後妻は気が転倒(てんとう)してしまい、翌朝(よくあさ)、夫(おっと)に向かい、「先妻さんがどういう方か存(ぞん)じませんが、私へのやきもちや妬(ねた)みには堪(た)えられません。どうぞ私もおいとまさせてください。」と言って泣(な)きじゃくりました。

この妻(つま)と別(わか)れる気持ちのない夫は、きっと何かの霊魂(れいこん)の仕業(しわざ)であろうと思い、村の加持祈祷師(かじきとうし)(注2)を呼(よ)んで、お祓(はら)いをしてもらいましたが、一向(いっこう)にききめがありません。
困(こま)り果(は)てたすえ、うわさに聞いたことのある、中山寺の「辻の聖人」を訪(たず)ね、相談しました。話を聞き終(おえ)た聖人は、「これは生霊(せいれい)の仕業(しわざ)だ。」というと、本尊(ほんぞん)の十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)に向(む)かい、祈祷(きとう)を唱(とな)えると、「陀羅尼(だらに)(注3)」と書かれた祈祷札(きとうふだ)を若者に渡しました。
これを先妻の出入りする窓に張り付けますと、その夜からは先妻の姿(すがた)はピタリと見えなくなりました。
聖人の祈祷は、先妻の妬(ねた)み心をすっかり解(と)き放ってしまったのです。
それからは、後妻のきげんも直り、何ごともなく、夫婦円満(ふうふえんまん)に幸せに暮(く)らしたということです。

注釈
(注1)阿闍梨(あじゃり)
師範たるべき、修行を積んだ高僧のこと。
密教で高僧を示す用語。

(注2)加持祈祷師(かじきとうし)
加持とは仏教の衆生を保護すること。
祈祷とはまじない呪術をすることで、それらを行う者。

(注3)陀羅尼(だらに)
仏教語で総持・能持と訳す。教えの真髄を凝縮させて含むとされる言葉。
教えの真髄を記憶させる力、行者を守る力、神通力を与える力があるとされる呪文のこと。

挿し絵は、市内在住・在学の市民、児童・生徒から募集したものです。

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