宝塚の民話・第2集の12

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ID番号 1003697 更新日  2014年11月10日

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天神様のみこし(てんじんさまのみこし)

むかしむかしある年の秋、摂津地方(せっつちほう)(注1)に大荒れの風雨がおこりました。川は氾濫(はんらん)し洪水の渦(うず)に田畑はもちろんのこと、家を流された人もいました。
そんな嵐がおさまった翌朝、小池村(現在の中筋)の村人が川の葦(あし)の茂みに、一体のみこしが引っかかっているのを見つけて、急いで帰り村の衆に知らせました。
村人達が大勢かけつけ、みこしを川から引きあげようとしましたが、鉄のかたまりのように重く、ビクともしません。人を増やしてまた引きあげようとしましたが、みこしから足が生えて川底にふんばっているようでどうする事もできませんでした。

天神様のみこしの挿し絵

そのうわさは、すぐに近くの村々に伝わりました。
各村の若衆(わかしゅう)が次々に試みてみましたが、どうしても引きあげる事ができません。
最後に山本村が残りました。山本村の人々は最明寺滝(さいみょうじだき)(注2)で身を清め、松尾神社(まつお じんじゃ)(注3)でおはらいをしてから、川下に向かいました。そして一心に祈りますと、不思議にもみこしは大変軽くなり、なんなく担ぎ出すことができました。この不思議な出来事を見ていた人達は、神の御意志を感じました。「きっとみこしは、山本の地に祭られたかったのであろう」と。
みこしは、山本村のものになりました。山本村では天満神社(てんまん じんじゃ)(注4)を建てて、みこしを村の守護神とし、毎年祭りを行うことにしました。
そして、そのみこしがとどまっていた川を「天神川(てんじんがわ)」と言うようになりました。また、みこしの置かれていたあたりを小池村の領分(りょうぶん)と決め、祭りの時お旅所(おたびしょ)(注5)としました。
そして、毎年四月八日には神事(しんじ)のあと、いったん小池村に渡すことに決めました。
お供え物に天神川のあたりにあるみょうがや、いばらを使って、作った物を供える風習も生まれたとのことです。

このみこしを使った祭りを「トントコ祭り」と呼び、川の中をみこしを担いでまわる勇壮なお祭りだったということです。

注釈
(注1)摂津地方(せっつちほう)
旧五畿内(大和・河内・摂津・山城・和泉)の国名の一つ。大阪市の南部から北部や兵庫県東南部の一部の地域をさす。

(注2)最明寺滝(さいみょうじだき)
宝塚市の平井の山中にある滝の名。鎌倉時代に北条時頼(ほうじょう ときより)が出家し、最明寺入道と名のり、この地で庵をつくった所からこの地域を最明寺と呼ぶ。

(注3)松尾神社(まつおじんじゃ)
宝塚の山本東にある京都松尾神社の末社。酒の神様を祭祀する。創建年代は不詳。江戸前期の本殿は宝塚市指定文化財となっている。

(注4)天満神社(てんまんじんじゃ)
宝塚の山本西にある菅原道真(すがわらの みちざね)を祭る神社。創建年代は不詳。もとはこの東の松尾神社と同じ境内にあったといわれる。本殿は宝塚市指定文化財。

(注5)お旅所(おたびしょ)
神社のお祭りに際して、神やみこしの行く場所、または休息する所。

挿し絵は、市内在住・在学の市民、児童・生徒から募集したものです。

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